『メオ カミュゼ ヴォーヌ ロマネ クロ パラントー2014』(輸入元ジャパンインポート様)
newitem202207_02アンリ・ジャイエの薫陶を今に受け継ぐヴォーヌ・ロマネの名門 ドメーヌ メオ・カミュゼの 歴史は、栽培農家であると同時に、 コート・ドール県選出の代議士であったエティエンヌ・ カミュゼに始まる 。
因みにクロ・ド・ヴージョ城はコンフレリー・デ・シュヴァリエ・デュ ・タスヴァンに譲られるまで、カミュゼ家の所有であった。
メオ・カミュゼのクロ・ド・ ヴージョの畑が、城の周囲と真下という、 もっとも素晴らしい位置を占めているのはそうし た理由からだ。
エティエンヌ・カミュゼの娘、マリア・ノワロには跡継ぎがなく、 1959年、 近親のジャン・メオにドメーヌを託して亡くなった。
ジャン・メオは当時、ド・ゴール政権 の閣僚という要職にあり、 直接、ドメーヌの管理をするわけにはいかない。
畑は折半耕作の形で 小作人に任せ、出来上がったワインは樽のままネゴシアンに売られていた。
この時の小作人 でドメーヌのワインを手がけていたのが、2006年に没した ブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイ エだ。
1980年代半ば、折半耕作の 契約が切れると同時に、小作人たちも引退の時を迎えてメオ家 の元に ブドウ畑を返還。
1985年から本格的にドメーヌ元詰めが始まった。
やがてパリにいたまま でのドメーヌ経営が難しくなり、ブルゴーニュ に赴くことになったのがジャンの息子、ジャン・ ニコラ・メオである。
1964年生まれ。
商業学校でマーケティングを学び、銀行で研修を受けた 生粋のパリジャン。
1989年、24歳にしてドメーヌを託された。
表向き引退を宣言したアンリ・ ジャイエも、ドメーヌのコンサルタント として若きジャン・ニコラの指導にあたったという。
リシュブール、 クロ・ド・ヴージョ、エシェゾー、3つのコルトン (従来からあるクロ・ロニェに、 2010年ヴィンテージからペリエール とヴィーニュ・オー・サンが加わった)といった特級畑。
戦争直後にアンリ ・ジャイエが開墾したヴォーヌ・ロマネ1級クロ・パラントゥー。
宝石のような クリマの数々を、このドメーヌは有している。
ブドウ畑は大部分がビオロジック農法により栽培。
醸造法はジャイエ譲りで、 完全除梗のうえ15度の低温マセレーション。
樽熟成における新樽率は、 村名で50%、1級畑が60-65%、特級が100%である。
生産者:メオ カミュゼ 生産地:ブルゴーニュ地方 品種:ピノノワール タイプ:赤 容量:750ml
- 商品価格:341,000円
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