メオ・カミュゼ・フレール ・エ ・スール コルトン・シャルルマーニュ  グラン・クリュ (2017)MEO CAMUZET Frere et Soeur Corton Charlemagne Grand Cru 【白/辛口】

   

メオ・カミュゼの歴史は、栽培農家であると同時に、コート・ドール県選出の代議士であったエティエンヌ・カミュゼに始まる。

因みにクロ・ド・ヴージョ城はコンフレリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タスヴァンに譲られるまで、カミュゼ家の所有であった。

メオ・カミュゼのクロ・ド・ヴージョの畑が、城の周囲と真下という、もっとも素晴らしい位置を占めているのはそうした理由からだ。

エティエンヌ・カミュゼの娘、マリア・ノワロには跡継ぎがなく、1959年、近親のジャン・メオにドメーヌを託して亡くなった。

ジャン・メオは当時、ド・ゴール政権の閣僚という要職にあり、直接、ドメーヌの管理をするわけにはいかない。

畑は折半耕作の形で小作人に任せ、出来上がったワインは樽のままネゴシアンに売られていた。

この時の小作人でドメーヌのワインを手がけていたのが、2006年に没したブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイエだ。

1980年代半ば、折半耕作の契約が切れると同時に、小作人たちも引退の時を迎えてメオ家の元にブドウ畑を返還。

1985年から本格的にドメーヌ元詰めが始まった。

やがてパリにいたままでのドメーヌ経営が難しくなり、ブルゴーニュに赴くことになったのがジャンの息子、ジャン・ニコラ・メオである。

1964年生まれ。

商業学校でマーケティングを学び、銀行で研修を受けた、生粋のパリジャン。

1989年、24歳にしてドメーヌを託された。

表向き引退を宣言したアンリ・ジャイエも、ドメーヌのコンサルタントとして若きジャン・ニコラの指導にあたったという。

リシュブール、クロ・ド・ヴージョ、エシェゾー、3つのコルトン(従来からあるクロ・ロニェに、2010年ヴィンテージからペリエールとヴィーニュ・オー・サンが加わった)といった特級畑。

戦争直後にアンリ・ジャイエが開墾したヴォーヌ・ロマネ1級クロ・パラントゥー。

宝石のようなクリマの数々を、このドメーヌは有している。

ブドウ畑は大部分がビオロジック農法により栽培。

醸造法はジャイエ譲りで、完全除梗のうえ15度の低温マセレーション。

樽熟成における新樽率は、村名で50%、1級畑が60〜65%、特級が100%である。

ジャン・ニコラは「メオ・カミュゼ・フレール・エ・スール」の名前でネゴシアンビジネスも行っている。

マルサネ、フィサン、ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、シャンボール・ミュジニー、ニュイ・サン・ジョルジュなど、ドメーヌもののヴォーヌ・ロマネを補う形でコート・ド・ニュイのアペラシオンを余すことなく網羅。

これらの中には短期賃貸契約によりメオ・カミュゼのスタッフが畑の管理から収穫まで、ドメーヌの畑と同様に仕事をしているクリマも少なくない。

また、ブドウやマストを買い付ける場合でも、夏季剪定や収穫時の選果を行い、品質の安定を図っている。

コルトン・シャルルマーニュはコート・ド・ニュイ地区とコート・ド・ボーヌ地区の境界にあり、標高280-330mにある 特級畑。

レンジヌ、石灰岩、泥灰土といった複雑な地層が重なるように存在しており、ミネラルを豊富に含む水はけの良い土壌。

シャルルマーニュ皇が聖アンドローシュ聖堂参事会にこの場所を寄与したことで、この名がついたといわれています。

内容量 750ml ブドウ品種 シャルドネ 100% 保存方法 冷暗所にて保存 原産国名 フランス  ブルゴーニュ  アロース・コルトン [ct_w_21],[ct_w_32]

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